ハイタイ!沖縄(4/6追記あり)
Apr
2015
02

3日間のお休みをいただいて、私の所属するコーラスグループで沖縄に行ってきました!
沖縄は初めてな私は美ら海水族館とか、とにかく沖縄といったら「きれいな海」というイメージでいたので、そんなところに行きたいと思っていたのですが、どうも今回の旅は「平和学習の旅」ということのようで・・・。
私たちのコーラスグループは2年に一度の定期演奏会で、毎回「愛と平和」をテーマに歌っております。
何年か前の定演で「沖縄」をテーマに歌ったこともあり、また昨年、沖縄出身の若い新団員が加わったことでおおいに盛り上がり、今回の沖縄旅行が実現できました。
指導者の先生も加わり総勢18名の旅でしたので観光バスをチャーターしてガイド付きの充実した旅になりました!


3月29日お昼前に到着した那覇空港。快晴でした!


3日間お世話になった中部観光バスガイドの當山舞子さん。
勉強家で人当たりもよく素敵なガイドさんでした!

団員が用意した「PEACE」の旗を目印に旅が始まります。


車窓から眺める海。七色に変わるとのこと。
空の青さと海の青。何層にもなって一言では言い表せない美しさです!


最初の見学地、ひめゆりの塔。

塔の手前の壕の中でひめゆり学徒たちがたくさん亡くなりました。
この壕の中から見上げるジオラマが資料館で見られますが、この狭い壕の中で看護活動をしていたのですね。そして信じられないことに突然軍から解散命令が下されたそうです。こんな敵が周りを囲んでいるところで解散命令を出した軍の無責任さは呆れるほどです。「ひめゆり部隊」の犠牲者200人弱のうち、解散宣言後の犠牲者数が128人というのですから・・・。




平和祈念公園です。



平和の礎(いしじ)
国籍、軍人、非軍人を問わず沖縄戦で亡くなった人の名前を刻んであります。

向かって右側は県外の方たちの名前が出身県毎に(ほとんどが兵士です)。
左側のプレートには沖縄県民の名前が(県民に限り沖縄戦に限らずすべての戦没者の名前だそうです)。
沖縄戦では50万人いたという県民の1/4が亡くなり国内唯一の住民を巻き込んだ地上戦だったことが(女性の名前がたくさんありました)生々しく刻まれた礎です。

その後琉球王国最大の建造物、首里城を見学し一日目は終了。

宿泊は那覇市内のビジネスホテル。
なので、国際通りにある予約しておいたレストランで夕食。



沖縄舞踊を楽しみながらの食事でした。

二日目のメインイベントは辺野古の海。
「新基地建設反対!」と、キャンプシュワブゲート前で連日の座り込みを続ける方たちを激励するため、バスは停められないので(道路を挟んで向かい側には県警の機動隊員が目を光らせています)、手を振りました。
「頑張って!」とは他人事の言葉なので「私達も反対です!」という思いを込めて手を振りました。団員の一人はカンパを手渡したかったようですが、バスを停めることが叶わず、メモを走り書きしてカンパを包んで窓から投げ渡しました。なんとか拾ってくださった方がいらしたようでスリル満点の一瞬の出来事でした。

しばらくバスを走らせて対岸に停まって辺野古の海をしっかり目に焼き付けてきました。ジュゴンやサンゴ、ウミガメの棲むこんなきれいな海を埋め立ててしまうなんて・・・。

そのあと、名護市の市長にも激励の手紙を届けるべく名護市役所に行きました。





素晴しい庁舎でしょう!
目を凝らすと柱のあちこちに56体のシーサーが・・・。

実はこの市役所に行く前にオリオンビール工場見学をして、ビールの試飲をさせてもらっていました。
その勢い(?)もあって代表だけで市長への激励の手紙を渡しに行くところを全員で届けに行ってきました!しかも赤ら顔で・・・
「すみません、今オリオンビール工場でビールを試飲してきたものですから赤い顔で・・・」
との団長の言葉に
「いえ、大事なことですから」
とにこやかに市長への手紙を受け取って下さいました(もちろん、市長ご本人ではありません)。

二日目の宿泊は「沖縄かりゆしビーチリゾートオーシャンスパ」。
私たちの団体では泊まったことのない大きなホテル!
「すごいね!」
と感激したのもつかの間、大きすぎて迷子になるわ、移動に時間がかかるわ、考え物でした!!

三日目は今回の旅の最大の目的。
チビチリガマとシムクガマの見学です。
私たちの指導者の先生のご紹介で読谷村出身の今は僧侶となられている知花昌一さんという方が語り部としてこの二つのガマの話をして下さいました。
私たちの2011年のコンサートで「パイヌカジ(南の風)」という指導者の作詞・作曲の歌をうたったのですが、それが今回の旅の発端でもありました。

1945年4月1日に沖縄地上戦が始まり、米軍が上陸したその翌日チビチリガマに隠れた住民85人が集団自決等で亡くなりました。
米軍の殺さないという言葉を信用できず数人が竹槍をもって米軍に突っ込んでいき、銃で撃たれて2人が死んでしまいました。その光景に動揺したリーダー格の2人が「自決」を口にし賛成派と反対派に分かれ口論が続いたそうですが、そんな中、このあたりでも評判だった美人の18歳の少女が「きれいな姿のまま死にたい」と母に頼み、母もまたこのまま米軍に囚われるよりはと娘を殺してしまうのです。
ガマにいた看護婦は親類に毒を注射してまわって。
また毛布に火をつけて煙に包まれ亡くなっていった人も。
「自決」ではなく「強制死」だったと知花氏はおっしゃいます。 


一方、1キロ程しか離れていないシムクガマはチビチリガマとは違い1,000人近くも避難していたと言われる大きなガマです。
ここのガマのリーダー2人はハワイ帰りで英語が話せました。米軍と交渉して、抵抗さえしなければ殺さないという約束をもらってガマの人々に伝え、全員無事に米軍に収容されました。
二つのガマの明暗を分けたのはリーダーの違いだったのですね。

わずかに生き残ったチビチリガマの生存者は堅く口を閉ざし、長い間チビチリガマの存在すら知られていなかったそうです。
ある人の話から存在を知るきっかけになり、児童文学者の下嶋哲朗氏がこの話は後世に伝えなければいけないと思い、口を閉ざす人々を訪ねながら今日までの話を継いでくれています。


そんな話をして下さったあと、知花氏は三線を弾いて下さいました。
心に染み入る音色でした。

私たちもお礼として「へいわってすてきだね」を歌わせていただきました。
3月16日のこのブログで紹介いたしましたが、この詩に私たちの先生が曲をつけてくださいまして、今年のコンサートで歌うべく練習しているところです。

この歌をバスの中で練習したあとのガイドさんの感想がまたいい!!
「いや~素晴らしいですね! すみません、この歌を聞くまではお酒好きの団体のおばさん(とまでは言ってなかったかな?)だと思っていたんですけど(一同大笑い!)・・・。」
「この歌は沖縄の小学生が平和祈念公園で読み上げた詩ですよね?絵本にもなったという・・・」
「そうそう、そうです!」
「曲が付くとまたいいですね~」
「先生が作曲してくださったんです!」
「そうですか!感動しました!!素晴らしかったです!!(その前にガイドさんも沖縄の歌をうたって下さって)皆さんの歌の前にうたっちゃって良かったです!そのあとにはとても歌えません(とんでもない!とてもお上手でしたよ)」

そんなお世辞も上手なガイドさんとも那覇空港でお別れ。
最後の言葉が
「こんなにも遠く離れている方たちが沖縄のことをこんなに思ってくれていることがとても嬉しいです」
と、涙で声をつまらせて・・・。
最後は私たちも涙なみだで、握手をしてバスを見送りました。

長い長い沖縄旅行記、お付き合いありがとうございました。

帰宅したら2、3分咲きだった桜は満開でした!
そういえば、ガイドさんが言っていました。
沖縄の桜は種類が違う(緋寒桜)ので、桜吹雪というのを味わったことがないそうです。うつむき加減に咲いていて、散る時は花びらが一枚一枚散るのではなく花がポトッと落ちるのだそうです。
確かに、桜吹雪は幻想的でいいです!

今日は桜吹雪でした!

4月6日(月)追記
端折ってしまいましたが、旅の最後には那覇市の沖縄県庁にも出向き、翁長県知事にも宛てて秘書課の方に激励の手紙を託して参りました。

ここにもシーサーが・・・。
正面玄関のすぐ上です(見えませんよねsweat01)。