明日は我が身
Mar
2018
18

先日の朝日新聞の記事。
「認知症になって」という認知症になった専門医が自ら公表したというインタビュー記事を興味深く読みました。
この高齢化社会、「明日は我が身」ですからね。

インタビューを受けた方は長谷川和夫さんという半世紀にわたって認知症の専門医として携わり、現役時代に「長谷川式認知症スケール(9つの質問で測る簡易診断テスト)」を開発された方です。現在は89歳。

自身の認知症を疑ったきっかけは「自分が体験したことに確かさがなくなったこと」と言う。たとえば、散歩に出かけ、「鍵を閉め忘れたんじゃないか」と確かめに戻る。確かに大丈夫だ。普通はそれでおしまい。でもその確認したことがはっきりしない。そしてまた戻る・・・。
ご自分の弟子が院長をしている専門病院で「嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症」と診断されたそうです。
認知症の専門医と知られている方自身が認知症になったと公表することにためらいはなかったと言います。その体験を講演して伝えることで普通に生活しているとわかってもらえ、自分の話から多くの人に認知症を理解してもらえる、との思いがあるそうです。

「認知症になっても心は生きている」と言い続けてきた「心は生きている」とはどういうことでしょうか、とのインタビュアーの答えに
「『特別な病気になった何にもわからない人、だから何とかしてあげないとかわいそうだ』。それはだめだよ。自分と同じ『人』だということ。根本的な治療がないのは知っているが、それ以上のことは多くの人が知らない。なんていうのかな、周囲は本人に尋ねることはしても、本当にその人の話を聞いていることは少ないように思う。確かに、できないことは増えていくけれど」
「何も話さなくなるかもしれない。ご飯を食べなかったり、暴れたりするかもしれない。その時も『大丈夫よ』と言って、その人が好きな物を尊重する。同じ目線の高さになって、ね。得意なことを生かして、その人に役割を持たせることも大事。人という漢字は、人と人が支え合ってできている。それが『パーソン・センタード・ケア』だ」

そして最後にこれからどう生きていこうと考えているかとの問いに
「人生の色々なことを体験して、最後の段階に来た。老いることは、死に近づいてきたこと。この世に生きている間は、講演に限らず、自分ができて、他の人の役に立つことをやり続けていきたい」


なんと人間味溢れる心豊かな先生でしょう!

私は両親を比較的早く亡くしているので「認知症の介護」という経験はありませんが、「305」も30年以上も営業していますとお客様も(もちろん私たちスタッフも)寄る年波には勝てません。
耳が遠くなったなあと感じる人や、足元がおぼつかなくなって杖を頼りにされてまでも2Fに上がって来てくださる方もいらっしゃいます。
中にはちょっと様子がおかしいかな、と思われる方もいらっしゃいますが、この長谷川先生の「パーソン・センタード・ケア」を胸に忍ばせてもう少し頑張っていきたいと思います。

そんなことを考えながら銀行に両替に行き、両替機の操作をして出ようとしたら銀行の案内の人に
「あ、お客様、ちょっと待ってください!」
と声をかけられ、ドキッとしました。内心
「え?何か悪いことしたかしら・・・」
と、機械を振り返ったら、両替したお金が出たままになっていました!
カードだけ取って、お金は取らずにサッサと帰ろうとしていたところに声をかけてくださったという訳。
「すみません、考え事をしていたものですから。私ったら何しに来たんでしょうね!」
と言い訳しながら早々に退散いたしました。

これって、認知症のサイン???