町田へ
Aug
2019
25

ブログをさぼっていた間、友人と小旅行をしてきました!

町田市にある国際版画美術館と、同じ町田にある旧白洲亭「武相荘」へ。

新宿から小田急線で町田まで。そこからはタクシーで版画美術館へ行きました。

畦地梅太郎 わたしの山男展

町田駅から徒歩15分ということでしたが、4人でタクシーに乗っていきました!
結構、起伏があるところだったので歩かず正解!
こんもりした林の中に建つ静かなところでした。

畦地氏は出身は愛媛県ですが町田に移り住み、町田の名誉市民となっています。

今回の作品は「わたしの山男」と題して、山男シリーズ約100点の展示でした。

ひげ面の山男や、縞模様のライチョウ・・どれも愛らしく、また色合いがすごく好きです。
手元に置いておきたくて購入した数々です。


そのあとまたタクシーで同じ町田市内の鶴川にある白洲次郎と正子夫妻の「武相荘」へ。
武相荘とは、武蔵と相模の境にあるこの地に因み、また一捻りして「無愛想」から名付けたとのことです。

白洲次郎が英国ケンブリッジ大に留学する前に父親から初めて買い与えられたペイジsix-38というアメリカ車と同型のもの。何年か前にNHKで白洲次郎のことをドラマ化した番組がありましたが、その時に使用した車だということです。

白洲次郎は名実ともに「カッコいい!!」
身長180cmの容姿もさることながら、GHQに対し決して卑屈にならず、彼らに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめたという。

当時の吉田首相がサンフランシスコ講和条約受諾演説の原稿に目を通してほしいと白洲次郎に依頼。ところがその原稿が英文で書かれていたことに激怒し「講和会議というものは戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。その晴れの日の演説原稿を相手側と相談した上に相手側の言葉で書くバカがどこにいるか」と日本語で書き直し、内容も書き直させたという。その原稿の写しが展示されていました。
なんと30mにも及ぶといい、外国人記者をして「トイレットペーパーのようだ」と・・・。
本当に日本人らしからぬ「日本人」だったのですね!





農家の住まいを改築しながら60年もの間住み続けたというこの「武相荘」
今見ても趣のある品のいいたたずまいです。
ちょっと小高くなったお庭もいい具合に緑が茂り、素敵です!

ダイニングキッチンだったところをレストラン&カフェにしています。



天井が高くてゆったりとした雰囲気でした。

私がオーダーしたのはドライフルーツ入りリコッタチーズの冷製デザート。
リコッタチーズって癖がなくて美味しいですね。


帰りは歩いて鶴川駅まで。
あとで調べたら、鶴川駅までの間にちょっと道をそれれば最初に行った「畦地梅太郎」のギャラリーあとりえ「う」があったようでした!
途中でググればすぐ出てきたのに、残念でした!!