直木賞トリビア
Feb
2021
24

またまたネット情報ですが、今日2/24は作家 直木三十五の命日「南国忌」だそうです。
彼の作品「南国太平記」からとったようです。

「直木賞」が直木三十五という作家だというくらいは周知のことだと思いますが、実は私は彼の作品は読んだこともこの「南国太平記」すらも知りませんでした。

それで「直木賞」と「芥川賞」の違いももちろん知りませんでした。

直木三十五と芥川龍之介の作風の違いの賞なのですね。
つまり芥川龍之介の作風は正統派=純文学で、
直木三十五の作風はエンターテイメント性強=大衆小説
のそれぞれの部門に与えられていたのですね。
無知でした〜

それからこの直木三十五(さんじゅうご)と言う名前の由来、ご存知でしたか?

彼の31歳当時のペンネームが「直木三十一」、32歳になったら「直木三十二」・・・という形で本名の「植村宗一」の苗字の1文字「植」をもじった「直木」という苗字に、作家の執筆当時の年齢をくっつけて使う、というスタイルから生まれたペンネームだそうです。
で、彼が34歳の時に、原稿を扱った編集者のミスで「直木三十三」のまま掲載されてしまい、のちに「直木賞」を創設する菊池寛が「いいかげん、ペンネームを変えるのはやめろ」と勧めたことなどから「直木三十五」に落ち着いた、と言われているそうです。

こんな感覚の人なので、彼はユニークで多作な文筆家、新聞の連載小説などでも活躍しながら週刊誌のゴシップ記事なども多数、手掛けていたようです。

稼ぎもすごいけれど、使うお金はそれ以上、という人で、25歳以降、1934年の2月24日に43歳の若さで亡くなるまで、自宅=自分が定期的に家賃を収める住処・・を持たずに、人さまの住まい等に間借りする生活をし続けた、と言われているそうです。

彼の作品で、現代でもわかりやすいのが「黄門廻国記」で、テレビの時代劇ドラマで人気だった「水戸黄門」の原作と言われる作品だそうです。
それまで知識層にしか好まれなかった歴史文学にふんだんなエンターテイメント性を盛り込んで、大衆にも愛される作風を確立した功績は大きく評価されているようです。

「黄門廻国記」は水戸光圀の諸国漫遊+世直し物
「南国太平記」は幕末の薩摩藩のお家騒動に呪術師が絡み「呪いによる暗殺」というオカルティックな攻防を歴史上の人物たちが繰り広げる、という要素で大衆を熱狂させ、これらの2作品を原作とした映画が、同時に2社で制作され、同日に封切りされた・・・という史実に当時の賑わいが伺えますね。

(この記事のTEXTはPrecious.jp編集部より
参考資料は「直木三十五伝」植村鞆音(株式会社文芸春秋)より引用いたしました)


芥川龍之介の作品は数々知れど、直木三十五という作家について、今日の「南国忌」にあたり知り得たのも何かの縁。
本屋さんで探してみようかな・・・