老いのケジメ
Oct
2018
11

このタイトルは決して私の言葉ではありません。
「ケジメ」には私はまだ早いかと(笑)。

今朝の朝日新聞の「文化・文芸」欄に載った瀬戸内寂聴さんのエッセーのタイトルです。
「寂聴 残された日々」というエッセーを月に一回掲載されています。

今日のその一文の中で
「・・・とは言っても、この年齢になれば、今死んでも不思議でもないので、近頃、急にせかせかと、この世への「ケジメ」をつけ始めている。」
そして
「31年もつづけてきた『寂庵だより』という、ささやかな新聞をこの際、出版廃止にした。・・・」
老衰につれ病気も多くなり少しづつ発送が遅れ、毎月購読料をいただいている読者の方には申し訳ないので、おわびの手紙と新刊の本を出版社に手伝っていただいてお送りしたそうです。

現在、その読者だった方々から手紙が連日届いているそうで、涙なしには読めないと。
「読むのが生き甲斐だったのにと云ってくれ、長年一度も値上げがなかったとほめてくれたりする。それを拝読しながら、また出版したくなってむずむずする。しかしこれが『老いのケジメ』だと、自分をなだめるのだった。」

という内容のエッセーでした。

失礼ながら、このお歳で
「また出版したくなってむずむずする。」とはご立派!
身体は老いて不自由になってきても、この意欲が長生きの秘訣なのかもしれませんね。


さて、我がごとの話。
連日のようにお客様から
「なんでやめるの?」
「ここに来るのが楽しみだったのに・・・」
「これからどこに行けばいいの?」
「ここに来ると癒されるのよね~」
「もうみんなと会えなくなるわね~」etc.
本当に、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
「305」の存在がこんなにも皆さんに浸透されていたんですね。

そして最後は決まって
「このあと、店長さんどうするの?」って・・・。

正直、何も考えていません。
ゆっくりしてみて考えようと思います。

「またどこかで、こういうお店やってよ!」
と言われますが、私は寂聴さんのように「むずむず」はしません。
だって「305」は
この便利な場所にあって、
この広いスペースがあって、
この素晴らしい木の調度品あっての「305」なのではないですか?
だから皆さん癒されるのではないですか?
規模を小さくしたら「305」ではなくなるような気がします。

今更ながら私もこの空間の中で30年以上も過ごせたことに幸せなことだったと深く感謝します。

意欲も生き甲斐もなくなって長生きできないかもしれませんね。

だから生き甲斐を探すこと。
これが閉店後の私の最初の仕事です。