行政と専門家と国民の意識のバランス
Jul
2020
12

久しぶりに青空と太陽も拝めて、きょうはどこのお宅もお洗濯で忙しかったことでしょうね。

今朝のTBSサンデーモーニングの「風をよむ」コーナーでの話題は相変わらずコロナ禍問題。
日本は行政、専門家、国民のそれぞれの意識のズレがあるのではないか。
関係が機能不全だ、とも。
経済を回さなければならないこともわかるが、先ずは人命でしょう。
この世の中、コロナがそもそも先に存在していて、人類は一番あと。もっと謙虚に共存しなければいけないのではないか。
旧態依然とした社会をどうやったらいいように変えていけるか、間違いなく共生する時代だ、と締めくくっていました。

一方、昨日の朝日の朝刊のインタビュー記事。
「専門家は確率を語れ」と題した

国立病院機構仙台医療センターウィルスセンター長 西村秀一氏の記事です。

日本の新型コロナへの対応を批判しているという西村氏へのインタビュー。
例えば、「亡くなった方を遺族にも会わせず火葬したり、学校で毎日机やボールを消毒したり、おかしなことだらけです」と言います。どこが問題かというと、リスク評価が不十分だということ。病院と一般社会は分けて考えるべき。ウィルスに遭遇する確率が全然違うとのこと。
東京では一日200人を超える感染者が出ていますが、それは限られた地域の特定の場所で、市中感染があっても人工1千数百万人に比べればそれでもまだ数は少なく、ウィルスが蔓延しているわけじゃないのだからリスクの高いところから潰していくことが可能。

なぜ、実態と合わない対策がされているか、突き詰めると専門家の責任が大きいと。
例えば、接触感染のリスクが強調され、手で触れることの恐怖が広まっているがウィルスと細菌は違うのだということ。
細菌は自己増殖して一般環境で長く残る。
ウィルスは感染者の体外に出て寄生する細胞が無くなると時間が経てば活性を失う。

つまりウィルスは細菌より接触感染のリスクが低いそうです。なんでもアルコール消毒をする必要はないとのこと。

そうは言っても不安は感じる・・・とのインタビュアーの問いに
そういう不安を抱くのは専門家がきちんとリスクを評価して社会に伝えていないことだと。
具体的な確率を検討してリスク評価をして伝えることが大事で、専門家はどれくらいリスクがあるか定量的に評価すべき。
ゼロリスクを求めれば「念のため」と対策もどんどん大きくなるが、その下で多くの弊害も出る。
人と人との関りが無くなったり、差別してしまったり。職を失い、ウィルスでなくその対策で命を落とす者も出てくる。スーパーで買ったポテトチップの袋までアルコールで拭くのは笑っちゃうような話だが、笑えない。そんな恐れを広げた専門家に怒りが湧く・・・。
葬儀のことも、息をしないご遺体からウィルスは排出されない、皮膚に残っていたとしても体に触れなければいい。お別れをしたいという気持ちを大切にした葬儀はできるはず。

なぜゼロリスクを求める対策が広がってしまったのか・・・

感染症対策を巡る科学者の見解は多様。
政府の専門家会議で議論がなされなければならなかったが、リスク評価に偏りがあったのでは。メディアも誤ったメッセージを社会に広めてしまった。

政治と距離を保ち、異なる見解を交える。
高齢者や持病のある人と子どもで対応は違っていいはず。バランスのとり方だ。

最終的には公衆衛生だけでなく、教育、経済、社会活動のバランスをとるのは為政者の役割。為政者はどんな決断をしても非難は免れない孤独な立場だと腹をくくらなきゃならない。専門家が確率を示すことが重要なのは、彼らが全体を適正に勘案できるようにするためだ、と締めくくりました。


長々と記事をまとめてみましたが、大体こんなことが書かれていました。

毎日のようにワイドショーなどで色々な専門家先生の話を聞きながら、怖がったり、不安に思ったり・・。
昨日はマスクの扱いの話で、食事に行ったとき、マスクはどうするのがいいか。
一番正しいのは、マスクの外側にウィルスがついているかもしれないので、マスクのゴムの所を持って外したら、それをビニールの袋に入れて捨て、食事が終わったら新しいマスクを着ける・・・のだそうだ。

「はあ?」と思わずのけぞってしまいましたが、こんなことを専門家先生が言われるのでなんだか大変なことになっているんでしょうね。
不織布マスクとビニールのごみ問題はどうなっちゃうんでしょう?
環境問題とのバランスも考えていただきたい。

西村秀一ウィルスセンター長のご意見が心地よかったです!