静けさの功罪
Jul
2022
20

「戻り梅雨」と言うのか、あの酷暑から抜け出せたのはいいが、毎日のジメジメはまたまた不愉快。
でも今朝は風も通って晴れて気持ちがいい!
室温は30°c  湿度は42%
30°cって子供の頃はかなり暑いって言う気温じゃなかったかな〜


でも今朝は風もあって心地がいいです!
エアコンをつけないでいられるのが何よりです。

そして今日はテレビも早々と消して朝刊を広げてザッと目を通す余裕もできました。

その中で響いた記事。

朝日新聞の「多事奏論」

「無響室」と言う部屋があるそうだ。
この筆者も入ってみて、耳を澄ませても何も聞こえない、大声をだしても音が響かず声が口元から前に伸びていかない、不思議な圧迫感と孤立感を覚えたそうです。
静けさの功罪について考えていた彼女は
「静かなら良いのか」「『雑音』はつねに排除すべきものなのか」と投げかけています。

長野県小布施町の図書館での取り組みは、静かな場所の代名詞と言える図書館で、おしゃべりOK、仕切りのない広い空間にBGMが流れ、誰かの話し声や窓の外で飼うヤギの鳴き声も聞こえてくると言う。
町民が茶飲み話をしたり、お弁当を食べたり・・
もちろん図書館らしい静けさを求める人たちもいて普通の静かな図書館に戻った時期もあったそうだ。
でも4代目館長に就任した28歳という若き館長は、もう一度初心に立ち返る決断をして曰く
「予定にはなかった思いがけない出会いが生まれる場所にしたい」
「雑音は誰かが近くにいるのを知る機会になります」・・・と。

私もマンション暮らしをしている中で少なからず近隣の「雑音」に触れます。

近くの学校からブラスバンド部が練習している管弦楽器の音や、プールが始まった様子がわかる先生の声、中央公園で遊ぶ子供たちの声、上の階のピアノを弾く音、どこからか赤ちゃんの泣く声、犬の吠える声・・・
その全てが今ここで生きている、という実感を感じさせてくれます。
「平和の音色」だと思います。
それらが何も聞こえなくなったら・・・
怖くないですか?

そう言いながら、テレビを消して静かな部屋でこうして集中できる自分に、言ってることの矛盾も感じますが。

筆者の文末に作家の宮本輝氏のことが書かれていました。
軽井沢に建てた別荘での話。
静かな書斎で仕事ができると思っていたら野鳥が窓の外に巣を作り、その鳴き声や気配は酷くかんにさわり、原稿が書けずに家族に八つ当たりしたと。
ほどなく亡くなったお母様がその別荘で野鳥を眺めるのが好きだったことを思い出し、鳥のことで怒鳴り散らす息子に一度だけこう言ったと
「鳥が気になって書かれへんのやったら、小説家なんかやめてしまいなはれ」

偉大な作家にまさに母親しか浴びせられない言葉です!

神経を逆なでするような音も、どう感じるかは聞く人の意思や気分によって大きく変わる。雑音と妙音のあいだを揺れ動く音に、人は常に試されているようにも思えてくる。

と最後に筆者は結んでいます。